トクマ亭?読書・社会科学・・・
このブログは、僕が読んだ本の感想をはじめとして、社会科学について、現代の政治や経済についての意見等を書いていくつもりです。日記に関する意見などは、どんどんコメントしてください。
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oおしらせo
どうも、当亭の亭主 トクマです。

ご存知のとうり、最近どうも更新ができていません。

個人的なプライベートが忙しいということもあり(僕が忙しいと思っているだけで普通の人から見たらそうでもないのでしょうが)、
当亭のコンセプトである、できるだけ真面目な話題を、自分なりの視点から発信していくという内容を述べていくのが、今は難しくなりました。

このまま、頻繁な更新をあきらめ、暇ができた時に書くという選択肢もあるわけですが、それでは中途半端な行為になってしまいます。

なので、一応、今日をもって、当亭は休亭させていただきたいと思います。

今まで、当亭にいらしていただいていた方には、本当に申し訳なく思っています。そういう方は、僕は、mixiの方では、とりとめのない話をもっと軽い感じでしておりますので、もし興味のある方は、コメントを頂けると、確認次第、アポを取らせていただきます。

来年の後半には暇ができますので、その後、FC2からの移転も視野に入れて、復亭できれば、と思っています。

勝手ですが、よろしくお願いします。

また、お会いできることを。
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そういえば・・・
そういえば、9/26日は、当トクマ亭の1周年でした????(>3<)≡3�C�`�S�P�[�L

ということで、今までのメニュ?(ブログの日記)を振り返っておきます!!

書評
「教養」とはなにか        書評 9/26
翻訳語成立事情          書評 10/8
「知」のソフトウェア       書評 10/11
ぼくはこんな本を読んできた    書評 11/16
世界がわかる現代マネー6つの視点 書評 12/20
金融マーケット入門        書評 1/11
落日燃ゆ             書評 3/4 
日本興業銀行 第一部       書評 3/6
異文化世界            書評 3/13
竜馬がゆく 一?八        書評 3/11
                 書評 3/13
                 書評 3/18
                 書評 3/21
                 書評 4/6
                 書評 3/31
                 書評 7/20
構造改革の真実竹中平蔵大臣日誌  書評 5/9
高橋是清ーー日本のケインズ    書評 5/16
源氏物語の世界          書評6/9
ゲド戦記 影との戦い       書評 8/30

続いて、日経新聞連動コラム
国家マネー?世界に広がる影響力? コラム 2/29
21世紀と文明?危機を超えて?  コラム 3/7
                 コラム 3/14  (つづき)
「躁」の時代 「鬱」の時代    コラム 10/1

さて、次はニュース。まあ、その中でも、また後で見てもいいと思うものを集めました。
あえて言うと、ニュース?トクマ選
国の安全保障について       防衛省不祥事 11/18
万能細胞の開発について      山中伸弥教授 iPS細胞開発成功 12/4
国家による生活態度改善指令    衆院補欠 後期高齢者医療制度 4/23
niconico summer live 2008    ニコサマライブ 8/26



ちょ、今回は疲れたので、ここまで。
この日記に、 経済  農業・環境系 思うこと の項目の整理を追加しますので、よろしく?

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【日経連動コラム】@ひさしぶり  「躁」の時代 「鬱」の時代
日経新聞  08年7/30(水)夕刊文化面より

作家五木寛之氏は、
日本は戦後60年の「躁の時代」を経て、「鬱の時代」を迎えたという。

1、「躁の時代」「鬱の時代」
日本の戦後を振り返ってみたい。
高度成長、万博、オリンピック、バブル崩壊、・・・数々の出来事が起こってきた。
五木氏は、この戦後を振り返り、高度成長や万博、オリンピックのような出来事がおこり、がむしゃらに働き、遊び、そして大量生産大量消費するといった生活様式が普通であった時代のことを「躁の時代」としている。
そして、バブル崩壊と、「失われた10年」を経て、
日本は、「鬱の時代」に入ったというのである。

ここで、「鬱の時代」というのは、個人の病気や短期的な社会の気分ではないという。むしろ、もっと大きな社会の流れとして、「鬱の時代」を指摘しているのである。
「鬱の時代」とは、どのようなものか。五木氏は、ロハスやスローライフといった生活様式やエネルギーを消費せず限られた資源でやりくりしようというエコロジーも「鬱の様相」を呈しているという。また、それは、予防を第一にするメタボや敵が見えないテロとの戦いにも見られるという。

2、「鬱」は悪くない
広辞苑によると「鬱」=草木の茂るさま。物事の盛んなさま。 となっており、鬱というのは、本来エネルギーを表す。現代は、そうしたエネルギーが出口を失っている状態だということができる。
これをして五木氏は、「ベルクソンのいう『エラン・ヴィタール(生命の跳躍)』の抑圧された状態が、現在の社会を覆う鬱の気分だと思う。」としている。
そして、こうした鬱の時代を生きるには、そうした時代に適した政治や経済学が必要という。

『自分の欲求を外に向かって吐き出し、外面社会の充実をはかるのが躁の時代だとすれば、鬱の時代は人間の魂の奥への踏査、冒険がなされるべき時代だろう。』

3、「下山の美学」
以上のように、現在の日本を分析したうえで、次のように主張する。
登山は上るだけでなく、下りることで完結する。
今まで我々は上る技術ばかり磨いてきたが、これからはゆっくり時間をかけて下りる文化を磨けばいい。
成熟した文化だけがもちうる制動のよさを身につけたい。加速が文化であるのと同じく減速もカルチャーである。




日本の現在を本当に的確に、指摘したもので、さすがと思うほかない。
1、2、で示したことについては、僕もまったくもって、同じ考えである。
現在、日本は、(世界がどうかはさておき)どう考えても、いわゆる「躁の時代」ではない。その転換期は、僕は(ちゃんと生きていたわけではないのでわからないが)感覚的に70年代のニクソンショック、第1次・第2次石油危機を迎えた後の「低成長期」からだと考えるが、これはよくわからなし、瑣末な問題だと思う。しかし、躁から鬱に時代が移った大きな要素の一つに「経済」「景気」というものはあると思う。景気がよく、成長することが分かっているから、人々は安心して(?)お金を使うことができたのではないか。そして、そうした空気こそが、「躁の時代」を形作っていたのではないかとおもう。

そして、転換期を経て、「絶対の成長」「明日があるさ」が通用しなくなった。そうしたとき、人々は、外を見るのをやめて、内をみるようになった。それが「鬱の時代」だと思う。

五木氏は、そうした「鬱の時代」を積極的にとらえ、「下山の美学」を唱えたのだろうと思う。
成熟した文化もいつかは終わりを迎える。そうした意味で「下山」という語を用いられたのか、他の含意があるのかもしれない。しかし、私には、この言葉を聞くと、どうも日本はこれから衰退していくしかないんですよ、と言われているように聞こえる。衰退し行くのはわかってるんですから、せめて潔く(いさぎよく)、有終の美を飾りませんか、と言われているように感じる。

現状認識は、五木氏の見識に舌を巻くものであるが、この結論には、賛同しがたい。
私は、日本をはじめ成熟した世界では、「こころ」というものに焦点があたってきていると感じる。犯罪も精神的なものが関係してきているし、医学も肉体的な技術進化から精神的なケアへと進化している。人々が求めるものも、生活を豊かにする物質的なものから、自らの精神を豊かにし、もしくは自らの精神を守るためのものが多くなっている。こうした方向性は、今後も続くように感じる。
ただ、しかし、だからこそ、日本の文化は終わっていないと思うし、日本の社会は「こころ」というものを受け入れ、かつそれをバネにして伸びてゆく社会になっていくべきだと思う。

本当に、これからの先進社会は「こころ」を静かに見るような、ある意味穏やか、ある意味退屈な社会になっていくと考えられるだろうか。そうはならない。そうなってはいけない。成長の付随した「こころ」の社会を目指してゆくべきだと思う。そのためには、「進化」ではなく「進歩」を合言葉とすべきだ。

その例として、たとえば、医学。現在のままでは、医学の精神へのアプローチとは、科学的に人の精神を決定するのは何かを考え、それをげんばでつかう。それの延々と繰り返しであろう。僕は、これを「進化」と定義する。方向性の変化のない進展のことだ。これでは、はっきりいって道は開けない。なぜなら、更なる精神学を追及するには、累進的な費用がかかる。その割に、得られるものは小さく、経済的にも、収穫逓減の法則ではないが、経済効果は薄いものとなる。そうではなくて、むしろ、精神を、「こころ」を中心に置いた医学なら、いっそ、患者を自然のただなかに連れて行ってはどうか。患者を笑いで直してみてはどうか。それは、新たな方向性をもたらすもので、僕はこれを「進歩」と定義する。そうすれば、経済的にも、フロンティアが生まれる。人は開拓を始める。人のこころは、蘇る。

こうした営みを我々は続けていくべきだと思う。この科学文明もしくは、西洋文明とでも言われるものが、そう長くは続くとは思わない。100年もすれば、大きく変わっているだろう。その終わりは、パラダイムシフトではなくて、人類滅亡なのかもしれない。「進歩」を目指すことは、そうなるのを少しでも遅らせることができるのではないかと思うのである。

KEY WORD : 「こころ」 「成長」 「進歩」

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