トクマ亭?読書・社会科学・・・
このブログは、僕が読んだ本の感想をはじめとして、社会科学について、現代の政治や経済についての意見等を書いていくつもりです。日記に関する意見などは、どんどんコメントしてください。
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アーシュラ・K・ル=グウィン   「ゲド戦記 『影との戦い』」
文学とは、「個たる人間の根源においてその社会、世界、宇宙とのつながりを全体的に把握しながら、人間であることの意味を認識してゆこうとする言葉の作業である。」といわれます。『影との戦い』に始まる「ゲド戦記」三部作はまさにこのような意味において真の文学と呼ぶべきものであり、ファンタジーの可能性を改めて世に示した作品といえましょう。
     ?????解説より  清水真砂子

父が文化人類学者、母が作家という家に生まれた作者が、世に示した世界のファンタジー小説の傑作。

『影との戦い』について、解説はこう記しています。
ゲドは魔法の修行中、おごりと妬みの心から死の影を呼び出し、その陰に追われてさまよいますが、師と仰ぐ魔法使いの言葉に従って、ある時を境に逆にその影を追うようになります。追いつめていった世界の果てで何が起こったか。ゲドがついに手にしたのは勝利でも敗北でもありませんでした。彼は己の名をになう影を自らに吸収して一体となります。ゲドはそうなって初めて全き(まったき)人間になったのでした。

アメリカの作家で、批評家であるエリノア・キャメロンは、心理学者ユングの説をひき、ゲドを苦しめた“影”はふだんは意識されずにある私たちの負の部分であり、私たちの内にあって、私たちをそそのかして悪を行わせるもの、本能的で、残酷で、反道徳的なもの、言い換えれば私たちのうちにひそむ獣性とでも呼ぶべきものではないか、と言いました。
もちろんこれは、一つの解釈にすぎませんが、たしかに人は誰も、自我に目覚め、己の内なる深淵をのぞきこんだその日から、負の部分である影との戦いを始めます。それは否定しようにも否定しえない自分の影の存在を認め、それから目をそむけるのではなく、しかと目を見開いてその影と向かい合おうとする戦いであり、さらにその影を己の中にとりこんで、光の部分だけでなく、この影の部分にもよき発露の道を与えてやろうとする戦いです。
困難な戦いですが、それはおそらく戦いぬいて初めて私たちの内なる平衡は保たれ、全き人間になることができるのでしょう。

昔、中or高校生の時に読んで以来、2回目です。ゼミの先生とゲド戦記の話で盛り上がり、また読んでみようという気になりました。
僕にとって、大切な本の一つです。
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テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌

niconico summer live 2008
よーやく、暇できました。
僕にしては、かなり忙しい日々でした?
もう少し、要領よく!!

さて、最近ハマっているのが、ニコニコ動画の「歌ってみた」「演奏してみた」

アマチュアの人たちが、それぞれに音楽を演奏し、歌って、それを動画としてUPする。

それを多くの人が見てコメントして、そのコメントを奏者や歌い手が見て、モチベーションあげて…

的なことをやってる。

曲目も、普通の曲というよりは、ニコ動で有名な曲をやってることが多い。
また、ニコ動の中で作られた曲も。
たとえば、それはこんな曲…



奏者さんや歌い手の方々は、高校生から社会人の方まで幅広い。
特に、社会人の方で、仕事の合間を縫ってって方が多い。

僕らが観客として見ている方々も、それそれの生活があって、彼ら・彼女らが観客になることもあって。このあたりがNETnoすごいところ。



ちょっと、お堅くいくと、
いままで、TV放送でも、RADIO放送でも、一方向型情報発信の時代でした。
そして、それが、統一性を重視する国家の成り立ちの大きな要素を占めていました。
なぜなら、中央から地方へ命令が伝わらないようでは、それは国家といえないからです。
地方分権であれ、中央集権であれ、国家というものは、一方向型情報発信のもとに成り立っていました。

しかし、NETの時代は違います。NETは双方向型情報発信の典型です。
双方向型情報発信は、一方向型情報発信を飲み込みます。双方向型情報発信は、思っていたよりも強力です。それで、国家がどうなるとかいう気は毛頭ありません。

ただ、大きく変わるんじゃないか、そう思います。

そして、それを成すのは、取るに足らない、ふつーの音楽好きな社会人であったりするのかも知れません。


8月23日東京 DIFFER有明 というところで、大きなイベントがありました。
詳細はこのページに詳しいです。
かにぱん。ブログ
また、ググれば、専用HPも出てきます。

このイベントは、上記の内容の実現という意義以外に、もうひとつ重要なことがあると思います。
それは、「学園祭」ってことです。

このゼロ成長の時代。
かつて、高度成長を的確に予想し、70年代に入ると一転してゼロ成長を唱えたのは、日本を代表するエコノミスト下村治だった。彼が、このゼロ成長の時代にどのような処方箋を残して死んでいったのかは知らない。しかし、私は、このような時代にもっとも大切なのは、学生や社会の人々の心だと思う。

リスクにおびえ、ちぢこまって何もできないようでは、道は開けない。
「みんなであつまって、なにかしようよ!」

そういう気持ちこそが重要で、それこそが何か作り上げていくことにつながる。



こうした時代、だからこそ逆説的に「プロ」っていうのが大事になってくるのかもしれない。
最後におふざけをひとつ。



それぞれの動画の解説は以下の[READ MORE・・・]をクリック
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テーマ:おすすめ音楽♪ - ジャンル:音楽

生産すること
最近、何かを生産するということについて、考えることが多い。
それはおそらく、就活の時期に入ったことが大きな要因だったのではないかと思う。

ここで言ってる「生産」とは、第二次産業的な物理的生産ではない。これ(第二次産業的生産)は、むしろ職人業となるべきものだ。
ここでは、あえて産業でいえば、第三次産業の「生産」で、ありていな言葉でいうと「生み出す」ということ。
これについて最近見えてきたことがある。




最近宮崎駿監督のアニメーション映画「崖の上のポニョ」が公開された。
ZEROという番組のなかで、インタビューに答えていっていたのが、

「最近のアニメーターには、人材がいない」「 やバーチャルだけ見ていたのではだめだ。実際に肌で触れた経験がないと」

アニメ界で取り上げられる主題は、過去、(日本の)ゆくべき未来を語ってきた。もしかしたら、むしろ、それに影響を受けて、社会がそのようにかわってきたのかもしれない。
しかし、最近登場する主題と言えば、成長的なものも、未来に光あるものもほとんどなく、
ただただ人類の滅亡・崩壊(精神的な意味も含めて)やそれを前提としたものばかりである。

そんな中において、アニメ界を通して、世界に、現実世界に一石を投じるかのようなこの映画は、驚評に値するものである。なぜそう言えるのか。理由は二つ。

一つは、この作品が、デジタル技術を用いて作ったのではなく、すべて手書きでかかれたという点。
メディアは、これを「(作業が)大変だった」という観点でしか報じていないように感じているが、このことにはもっと大きな意味があると思う。
それは、かねてから私が行ってきたこと、「進化から進歩へ」という色がありありと見えるからでもある。作品を見て、人が何かを得る時、それはデジタルでは、多くが不可能なのである。
デジタル技術の発展により、描画は、より一層画一化し、陳腐化していった。
手で書くということ。。。その一枚の絵に、“人”を感じることこそが“バーチャル”であるアニメーションが力強いメッセージを伝えることができる唯一の方法だと思う。
ここに宮崎氏やプロデューサー鈴木氏が感じるアニメの危機があり、それを乗り越える道があるのではないか。そう思う。


いま一つは、その主題に込められた意図である。宮崎氏は、この映画をおそらく、子供のために、(社会における子供のために:そのことはつまり、子供という存在のことであり、“子供たち”のことでない。また、子供という存在に接する大人のためでgのもあり、またもちろん子供(たち)自身のためでもあろう。)
つまり、「子供という存在」のために、つくったものだと思う。これだけだと、ただの「主題ある映画」なのだが、これが世に一石を投じるとまで言えるのは、彼の、「幼稚園・保育園に対する考え」「この成長に対する考え」をみるとよくわかる。つまり、TVを見たり、ゲームをしたり、PCをしたりというバーチャルな世界で、それだけで育ってきてるというのでは、大人になって、ことをなすことはできないのである。
それをおそらく予言(後世から見ればそう言われることになるだろう。現時点では、監督本人に聞いても、はっきりYESとは言わないかもしれないが。)しているのだと思う。

この対比が、今アニメ界だけじゃなくて、他の業界でも起こっていて、「経験すること」「心の底に深く重い、ずっしりしたものを持っておくこと」が大切なのである。

このことが、各業界・TV界や小売業界で革新的なものが出てこない一つの、そして非常に大きな要因になっているのだと思う。また、もう一方で、”我々は何を清算すべきか“も見えてくるだろう。

”熱さ”を持つ若者は実は多い。最近、TVなどでそう言われている。僕も、いろんな人の話を聞くとそのように思う。現代の叫びは、若者にも、そして大人にも、梁山泊(水滸伝にでてくる本拠地のこと。)のようなものがあれば…そう思う人は少なくないだろう。
これからの時代、我々が生産すべきものは、そういった「あつくなれるもの」であり、「実体験を経験できるもの」である。

これは、教育システムなどで特に考えられることかもしれない。大学生の期間を半年もしくは一年延長して、「経験」する期間をつくるべきとする考えに、私は強く同調する。

また、これはインターネットの拡大と同時進行的に成長していく(べき)ことかもしれない。


大げさにいえば、このシステムを最初につくりだし、成功させた国(など)に”新しい時代の覇権は転がり込んでくるような気がする。


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ナフザンス法定大学教授(不穏分子因果論)



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