トクマ亭?読書・社会科学・・・
このブログは、僕が読んだ本の感想をはじめとして、社会科学について、現代の政治や経済についての意見等を書いていくつもりです。日記に関する意見などは、どんどんコメントしてください。
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後藤新一  『高橋是清ーー日本の“ケインズ”』
今日は、授業の期末レポートを作るために読んだ本。
引用がおおくて、少し読みにくいところもあるかもしれないけど、高橋財政のこと、日本が戦争に向かっていった背景が(財政面から見て)よくわかる。

目次
1部 金融危機高橋是清
 1金融恐慌の勃発
 2難局に処す高橋是清
2部 金解禁高橋是清
 1浜口内閣の金解禁
 2金解禁高橋是清
3部 赤字国債と高橋是清
 1金輸出再禁止と高橋蔵相
 2赤字国債と高橋蔵相
付表 高橋是清の大臣歴

時代を追って金融恐慌の発生から、金解禁、そして金輸出再禁止、そして放漫財政、赤字国債、二・二六事件まで。重要事項を中心に、その考え方や具体的な数字、回顧録などの資料を頻繁に用いて、しかしそれでもわかりやすく述べてくれています。高橋財政を概括的に学ぶには最適の一冊ではないでしょうか。

 当時の蔵相(高橋是清を中心に。)の財政に対する熱い思いと信念が伝わってくるよう。
金解禁を実施し、緊縮財政をして産業合理化をなさしめんとした井上準之蔵相。これは、当時の人々に大きな負担を負うことであった。しかし、浜口首相はラジオで国民に訴えかける。
「…けれどもこの緊縮、節約、金解禁のためにおこるところの不景気は、これは一時の不景気でありまして、この一時の不景気を乗り切ることによって、始めて本当の景気の回復が期し得られるのであります。………即ち財政の緊縮といひ、勤倹力行といふことも、畢竟するに将来大に伸びんとするために一時屈するのであります。我々は国民諸君と共にこの一時の苦痛を忍んで、後日の大なる発展を遂げなければなりませぬ。」
 
 また、井上らの政策は結果としてうまくいかなかったが、それを受ける形で登場してきた老翁・高橋是清は、すぐさま金輸出再禁止を行う。そして、有効需要創出のため、農村不況を脱するため、時局匡救費として、膨大な予算を組み、赤字国債を発行した。彼がそれらを日銀引き受けにしたことが、後に戦争に向かう一つの要因と言われるのも、このことである。
 ところで、しかし、こうした政策は、すぐ後にケインズによって唱えられる説であるが、当時の老翁・高橋是清はケインズの域にまで達していたことを示し、日本が他の先進諸国に先駆けて恐慌を脱出できたのも、この大臣によるところが大きい。

そして、景気が回復し、赤字国債が国の負担となり始め、悪性インフレの危機迫る頃、高橋蔵相は軍事費の抑制に取りかかる。
「唯国防のみに専念して悪性インフレーションを惹き起こしその信用を破壊するが如きことがあっては国防も決して安国とはなり得ない。」
との考えを持って、軍部の要求を退け、財政健全化に向かおうとしていたまさにそのときに、彼は二・二六事件によって、なくなったのである。

評価も分かれると思うが、そこにはあの苦しくて、大変な時代を生き、そこになんとか光明を見せようと努力した老蔵相に敬意が伴っていなければならないと思うのである。

高橋是清―日本の“ケインズ” (1977年) (日経新書)高橋是清―日本の“ケインズ” (1977年) (日経新書)
(1977/06)
後藤 新一

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竹中平蔵 『構造改革の真実 竹中平蔵大臣日誌』
久しぶりの書評です。なんやかんやとほんを読んでることは多いんですが、授業のために一部しか読まなかったり、授業のテキストだったりするんで、はっきり言って書評しにくいんですよね?。今回の本は、ゼミの昼休み読書会(先生は、ブランチ…って言ってました)で、発表した本です。

目次
序章  改革の日々が始まった
第1章 小泉内閣という”奇跡”
第2章  金融改革の真実ーー”不良債権”という重荷
第3章 郵政民営化の真実ーー改革本丸の攻防
第4章 経済財政諮問会議の真実ーー政策プロセスはどう変わったか
終章  日本経済二つの道

題名から見てわかるように、竹中平蔵元大臣が、小泉元首相と歩んできた構造改革の内容と裏側について、各ポイントごとに書いてくれています。構造改革の内容の所は細かい用語などが入ってきて少しややこしいですが、そうした(経済や)政策面だけでなく、政策が決定するプロセスまで書いてあって、結構読みやすいと思います。

この本をよんで感じたことを何点か、ピックアップしておきます。

官僚は日本でもよりすぐりの精鋭であるにも関わらず、動きが悪い点
これについて、大臣は「官僚機構独特の『無謬性』」をあげています。これは、過去に行い、そうすれば必ずうまくいくと言ってきた手前、今ある問題点を認めようとせず、過去の政策を正当化しようとしてしまうことです。官僚のプライドが災いしているのでしょうか。こうした点は、外にいる人間には全くわからなかったことなので、勉強になりました。この点については、小泉氏や竹中氏は自分の前で、官僚と(改革派)専門家を徹底討論させ、その上で、自分が決定するというスタイルをとることによって、無謬性の呪縛から解放していました。しかし、これでは、最初になぜ官僚が間違った政策をとってしまったのかという点に対する構造的な問題点はわからないままです。また、こうした実態は官僚だけでなく、企業などにも多少はあると書かれていました。

・戦略は細部に宿る
どうも日本では、政治主導でものごとが進まないな。と思う方にはこの点が大切だと思います。つまり、強いリーダーシップをもつ総理が現れて、政治が大枠を決めることができるようになったとしても、細部の基準や言葉の切れはしを書いたり決定したりするのが、官僚なら、そこにはやっぱりマイナスの(官僚の主張する)バイアスがかかってしまうということです。この点に対しては、竹中氏は、まず、秘書らと「裏会議」を行い、その後民間議員などに説明して、同意を得、その後諮問会議などでその議題を持ち込む。さらに最後に「総理の一言」を加えてもらうという念入りなプロセスを踏んでいました。そのため、細部にわたるまで大臣側が決定することができ、素早く改革を進めることができた。

・ブレーンの必要性
総理大臣というのは、こうした政策を安全保障から外交から経済から何から何まで知っていないといけない。そんなこと細部までは不可能に決まってる。大枠でそうしたことを理解し、細かいところはブレーンにまかせるという姿勢が、改革をスムーズに進める秘訣。これは、大臣レベルでもそう。大臣も個人ブレーンを持つべき。そうしたところに、学者は進出していき、「政策専門家」の枠を広げるべき。

・予算プロセスの変化
今まででは、予算については、財務省の影響力が大きく、政策決定=予算決定のような有様だった。しかし、経済財政諮問会議が有効に活用されるようになって、政策決定は「骨太方針」で、国家として全体的に決定できるようになり、予算決定は、骨太方針に従って、マクロ経済との関係を考慮しつつ決定できるようになった。これによって、トップダウン式の予算設定が可能になった。しかし、この諮問会議は森内閣の頃からあったことを考え合わせれば、やはり総理や経済財政担当大臣などが、相当情熱をもち、政策専門家を駆使して、しなければ、小泉内閣時のような有効活用は難しいかもしれない。

と、こんな感じです。たしかに読みやすいですし、学問と政治の間に何があるのかというのもよくわかります。しかし、ここまで、自信たっぷりに話すところや、Yes-Noに分けての話し方(抵抗勢力と言った言い方など)、腹が立ってくるのも確かかもしれません(笑)

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存在意義の思考
最近、
「なぜ、こんなものに興味を持つのか?」
と思うことが増えました。それは、おそらく自分の視野が狭くなってきてしまっているのだろうと思い、改善をしなければと思っているところです。

それに関して、昨日NHKの「知るを楽しむ」という番組で、
夏目漱石 悩む力」と題して、姜尚中さんが、話し手いらっしゃったところに、
おもしろいところがありました。

それは、「現代は擦りっ切れの時代だ」ということです。
現代は、さまざまなものが登場し、それらがあふれている時代ですが、それとは逆に、ものに対する価値が小さくなっていく時代だと言うのです。
これに対して彼は、「いかに価値が小さいと感じるものに対しても、それと正面から向き合い、その価値を小さいなら小さいものとして受け入れることー真面目さーが必要だ」というのです。

 人々は、さまざまなことに依存して生きています。それは、金銭とか親とか子供とか携帯とかなんでもあると思うし、逆に言えば、人は自らが接しているものすべてに依存しているということもできると思うのです。
それは、つまり、自分というものを規定するのは、自己とかそういったものじゃなくて、
他人である。そしてここで終わるのではなくて、むしろもっと広げて、自分というものを規定するのは、世に存在する多くのものなのだということを示しているのだと思うのです。

こうした「自らの存在意義/存在位置」というものを規定したい、つまりアイデンティティを確立したいと思うのは、過去における宗教や共同体といったものを失った現代ならではのことです。そう考えていくと、現代文明が栄える過程で、大量生産・大量消費時代を通して、ものが増えていったのは、 宗教・共同体といった、自己規定機能を果たすものが失われていったのと、表裏一体の関係にあるのではないでしょうか。つまり、現代における文明が生じた時点では、この文明はさまざまな方向に向かう可能性があったが、宗教・共同体といったものの減少・消失を受けて、「ものがあふれる文明」へと方向が決められたのではないかと思うのです。

さて、そういった時代に、我々はどうすべきなのか。
「ものがあふれる時代」は終焉を迎えようとしています。「ものがあふれる時代」は環境問題に代表されるような持続可能性の問題や人間性の欠乏と回復欲望などの問題から、限界を迎えつつあるのです。
次世代までのコトを考えるとき、
私は、人がこれから依存していくべきものとして『志(こころざし)』をあげたいと思います。
人は、これからの世の中で、生きていく上で、強い目標をもち、それを実現するための『志』を持つようになるべきです。そうすることで、人々は、何かを志し、そのために働いた人物として、生きているときは、立場を持つことによって存在意義を確定し(これは現在の企業における立場の意義とは異なるものでしょう)、また、死してもなお、無名ではありますが、一つの志にむかって努力した人というように、歴史の上に規定されることになります(実際は、人々が生きているうちに、このように、感じるということが重要なのであって、本当に規定されるかはたいした問題ではありません)。

こうした時代がくる頃には、現在よりもっとイデオロギーなどの重要性が復活するでありましょうし、その結果、目標の違いによって、争いというものが絶えなくなってしまうかもしれません。
しかし、現在のように、わけもわからず「流行」というものを追い求め、「流行」性の大小によって自己を規定しようとしたり、「人気(例えば、芸能人とか映画とか音楽とか)」という一種の象徴を「あがめる」ことで、一種の麻薬のような、つまり周りが見えず、陶酔したりするようなことや、行き詰まって「凶行(殺人/自殺)」に走ったり、ということは減少するのではないでしょうか。

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ナフザンス法定大学教授(不穏分子因果論)



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