トクマ亭?読書・社会科学・・・
このブログは、僕が読んだ本の感想をはじめとして、社会科学について、現代の政治や経済についての意見等を書いていくつもりです。日記に関する意見などは、どんどんコメントしてください。
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作品
ある偶然で『こどものおもちゃ』という作品を見る機会があった。
この作品の監督は以前から注目していた「大地丙太郎(だいちあきたろう)」監督で、全102話を見た。非常によい作品だった。
最初に、第一話を見たときは、その怒濤(どとう)のセリフに疲れ果てたが(ただ見ているだけで疲れたのはこれが初めてやと思う)、徐々に慣れていった。大地監督恒例(?)の笑い・ユーモアの挿入も、この作品のテンポをよくした。一見、無駄が多いように思えるが、その実は、非常に密度の高い作品である。少年犯罪や家庭関係などの内容もさることながら、大地監督によってつくられたテンポ、それにサウンドがこの作品を盛り上げていることは間違いない。主人公・その母・最後に出てくる中尾の三人が僕のなかではすばらしい登場人物だった。


 しかし、この話を見終わった後にもかかわらず、心の中にはモヤモヤ感が抜けない。
それはたぶん、この作品の終わり方にあるんかなぁ?とおもってます。普通のこういう系の漫画の終わり方とはちょっと違ってたから・・・
そのせいで、モヤモヤしてるんかもしれん。でも、しかし、モヤモヤしてるせいで、それをなんとか現実世界で解消したいと思ったんやけど、それを監督が考えてたら、考えて作ってたらすごいとおもう。

   まあ、普通はそんなんも考えてつくるんかもしれんけど、やっぱすごいとおもう。最近は、アニメとかも、「作品」っていうイメージよりも「売り物」ってイメージが強くなってきてるように思います。だから、こういう風に、この作品を見終わった後の視聴者のコトまで考えてるって言うのは、うれしい事やと思う。
   
ま、何にせよ、見終わって、犬の散歩にいったんやけど、そのときとった写真が?
なんか、暗いんやけど(写真ではわからんかもしれんけど、実際はもっと暗い)、視界が狭められるんじゃなく、明るいときみたいに見える。こういう状況。そのとき感じたのが、「息ができる、静かな海の中にいるみたい」やった。こういう感覚は初めてで、気候的条件もさることながら、精神的条件も関係してたんじゃないか。

   翌日、朝の通学で、電車の中で、ケータイ小説「檸檬」(by梶井基次郎)を読みました。思ったほど、いい話とか感動的とかではなかったけれど、最後に出てきたレモンが、「灰色の世界の中で、美しく存在するレモン色」といった印象を与えてくれ、昨日から続いていた「モヤモヤ感」が少しやわらいだ気がしました。

えー、写真はまだ間に合ってません、近々用意したいと思います(^^ゞ

用意しました?!!こんな感じでした!!

感覚風景3



感覚風景2



こどちゃをみた後に出会った、海の中で息をしているような感覚風景


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テーマ:管理人日記 - ジャンル:アニメ・コミック

京都見(聞)?講演 フランシス・フクヤマ氏
さて、今回は、同志社女子大の栄光館で行われた、
フランシス・フクヤマ氏の講演「21世紀における自由民主主義の将来」
について。

この講演について知ったのは、うちの大学の掲示板を見たとき。フランシス・フクヤマ氏は、僕にとってもう歴史上の人物になりかけていたので、京都で講演があると知ったときには、「ぜひ行かなくては」と思った次第・・・フクヤマ氏は、以前は(現)ブッシュ政権を支持する立場にいたが、著書「アメリカの終り」において、ネオコンとは袂をわかったとしています。

さて、久しぶりに京都にいったわけですが、いくつか感じた点がある。一つ目、駅のトイレが異常に大きい(烏丸駅)、二つ目、道幅が広く、整備されている。さすが、古都!!って感じでした。日本にとって、重要な都市なんだなと実感した。こういうこともあって、京都人はおおらか(ただのイメージです(^^ヾ)なのかなとも思いました。人についても、若者というよりも、老人がおおく、外国人の方もちらほら見られました。それから、エスカレーター。関西なのに、左に詰めてました。戸惑いました。
さて、京都についての印象はこのくらいにして、フランシス・フクヤマ氏の講演について。聴講者は、意外にも一般の人や老人が多く、外国人の人もいました。学生との割合にして、6:4くらいかな。



 講演内容は、リベラル民主主義が維持・発展するのにあたり存在する4つの障害について。
歴史の終りという概念はヘーゲルやマルクスによって述べられたものである。マルクスなんかの考え方では、世界はゆくゆくは共産主義ユートピアとなるというもの。しかし、彼のいう「歴史の終り」とは、少し違う概念である。それは世界は共産主義になるのではなく、ブルジョワ民主主義になるというものである。ひとつの方向に導かれるというのは、サミュエル・ハンチントン「文明の衝突」なんかとは、まったく正反対のかんがえである。そこでは、文明単位で分裂し、その間で紛争が発生するとしている。つまり、文化が、社会がどのように変化するのかを決定するとかんがえているのだ。それをこの話に当てはめれば、リベラル民主主義になるのは西洋キリスト教文明のみであり、イスラム、ヒンドゥー、儒教の各文明はそれぞれ別のシステムになるとしているのである。フクヤマ氏は、自らと彼らとの違いの根本にあるのは、「(文化は異なっても成立するような)普遍的価値というものが存在するのか」だとし、彼は、文化が多様なため、完全な収束はないとしながらも、そういった価値が存在するという立場に立つということを明確に述べた。それを示すのに、彼は女性の社会進出を例にして、自らの立場を説明していた。
それを受けて、本題の「4つの障害」に入る。
1、イスラムの台頭
イスラムというのは、民主化プロセスの唯一の例外である。トルコやインドネシアのように、民主化プロセスに成功している国もあるが、そうでない急進派も多く存在する。イスラム圏の人々の主張する「イスラム民主主義」はリベラル民主主義と、宗教分離を認めるか否かの違いである。これは、矛盾するものと、イスラムの学者らは主張するが、フクヤマ氏は共存可能だとしている。その例としてあげたのが、先のマレーシア大統領リー・クアン・ユー氏の「アジア的価値」。彼は、アジアにはアジア的価値が存在し、それはリベラル民主主義とは共存不可能だと言った。しかし、現在のアジアをみてみると、日本や韓国などの例をみてもわかるように、共存できているように思える。従って、その事は、イスラム民主主義にも当てはめる事ができるのではないか。
2、国際レベルにおける民主主義
国際レベルにおける民主主義とは、国家主権のまたがるところでの民主主義のこと。この例として、フクヤマ氏は先のイラク戦争をあげました。イラク戦争を行うにあたって、アメリカ政府はアメリカ国民に、イラク政府はイラク国民にそれぞれアカウンタビリティー(説明責任)を負っている。しかし、アメリカ政府は、戦争によって、被害を与えてしまうであろうイラクの国民に対して、説明責任を負っていない。その事が、今日のような、イラク情勢の混迷につながっているとしています。これに対して、フクヤマ氏は国連の有効性が低下するなか、国際的制度が必要と主張する。国際的制度には、(おそらく)国際機関も含まれていると考えられるが、それを作る必要があるというのである。その模範となるのが、EUである。EUは東南アジアに比べて、歴史(認識)についての共通性があるため、成功したのだ。逆に言えば、東南アジアは、そういった認識が形成されない限り、共同体を形成できない。
3、途上国とその貧困
貧困国は、第二次世界大戦後植民地支配から独立してからも、所得水準が下がり続けている。その事が、民主化プロセスにとって、大きな障害となるのである。一般的に、政治的変革を導くには、その前提としての経済成長が必要である。では、その経済成長をどのようにして起こすか。それには、基礎としての統治能力が備わっていなければならないとする。現在、経済的にも発展し、民主化も進みつつある日本・韓国・中国には、古代から「国家」というものがきっちり存在していた。しかし、今貧困国としてあげられる、パプア・ニューギニアには、部族間での関係はあったかもしれないが、植民地化以前には国家がなかった。つまり、前者と後者の間には、国家制度が存在した時期において大きな時間的差異があるのだ。現在はそれを短い期間で埋めていかなくてはならず、非常な困難が予想される。フクヤマ氏はまた、グローバル化についても言及された。グローバル化は、たしかに投資の自由化やも貿易自由化など、多くの利益をもたらしてくれる。しかし、それと同時に、マフィアや麻薬、武器などの広まるべきでないものも広まってしまう点を忘れてはならない。また、グローバル化によって、国際関係のあり方にも変化が起こっていきいる。現在は、中央集権国家によって構成される、古典的国際関係ではなく、いわゆる破綻国家(統治能力の低い国家)が国際関係において大きな影響を与えているのである。これに対して、先進国が何らかの手を打たなければ、世界はますます混沌としてゆくだろう。この点で、アメリカは武力のみにたよって失敗したと言える。
4、テクノロジー
現在の世界の発展の基礎であり、すばらしい貢献を果たしてきた科学技術が、これからも人類にとってプラスに働くかは不透明である。現在おこっている大きな問題の一つは核兵器の拡散である。キラーDNAと呼ばれる組み替えDNAや大量破壊兵器も含めて、これらの民主化が進行しつつあると言える。これと並ぶ問題が、地球温暖化問題である。この解決に役立てようとバイオテクノロジーが開発されているが、これも悪用されれば、世界に非常に大きな被害をもたらす。これらに関しても、フクヤマ氏は国際的取り組みが必要だと主張する。
以上の4つの障害についての警告を受けて、フクヤマ氏は、これ以外にも要因があるかもしれないとしながらも、次のような言葉で講演を締めくくった。
「近代化において、「個人」の選択が、非常に重要になってくる」



フランシス・フクヤマ氏は、その著書でも述べられているように、歴史は、最終的に「リベラル民主主義に集束する」という考え方を持っておられました。現在の思潮では、「普遍的なものなどなく、文化によって相対的である」という論調が大多数を占めているのではないかと思います(講演にも出てきたサミュエル・ハンチントン氏なんかはむしろこの立場でしょう。文明単位で分裂し、紛争が起こるというものです。)が、それにもかかわらず、自らの考え方を貫きとおせるというのは勇気のいることだと思いました。
この講演のなかで、僕が特に印象に残ったのは、東南アジア共同体の形成についてのところと、政治的変革における経済成長の位置づけについてである。前者は、以前から興味を持っていた話題でした。ずっと前、日経に特集がのってたし。確かに、現在の状況では、東南アジア、特に東アジアでは、歴史認識の共通意識なんかは生まれていないとは思う。その点は、今後つめていく必要のある事だと思うけど、ヨーロッパも程度の差なんじゃないかとおもう。ヨーロッパには、戦争が絶えなかったから、もう二度とそれを起こしたくないという気持ちは、確かに共有されているかもしれない。しかし、その他の点では、共有されていない事がまだたくさんあるのではないかと思う。また、国が違う、民族が違う、というだけで、歴史認識に差が出るのは、ある種当然の事で、それが完全に埋まる事はない。これを考えれば、やっぱり程度の差という事で、東南アジアにも希望はあると思う。後者については、経済成長をあのように規定する事は、経済学ではなかったし、経済成長を起こすにはどうしたらいいかというところで、基本的統治能力の必要性に迫るのは、新しい視点で、ちょっと目からうろこでした。
なんにせよ、生で世界的な学者さんの話を聞けたのは、いい経験だったと思います。詳しい内容に興味のある方は、次のURLへ(参考URL:http://www.cismor.jp/jp/research/lectures/071022.html

テーマ:政治・経済・時事問題 - ジャンル:政治・経済

NHKスペシャル 「ライスショック」
 今日は、07年10月14・15日の夜に放送されていた、NHKスペシャル「ライスショック」について。 
 1日目は、海外の商人(この放送では、中国系?アメリカ人)に焦点をあて、海外の企業が虎視眈々と日本の市場を狙っている事を、その商人に密着取材する形で紹介。2日目は、一転して、米価下落に歯止めがかからない事に嘆き、どうにかして対策を進めようとする日本の農家や企業について。個人的には、1日目の内容の方が、知らない事が多く、海外の状況を知る事ができたので、有益であったように思う。2日目は、1日目に比べ、よりドキュメント風で、少し困ったが(間が長過ぎたりして、イラッと・・・)、こちらも、今まで普通に有効と思っていた事が、実はあまり有効ではなかったなど、視点の違い、考え方の違いなどを考えることができた。総じて、有効であったと思う。
 僕としては、もう少し情報を詰め込んでくれてもよかったのでは(?)と思っているが、問題は限られた情報量からの洞察力・想像力であるので、自分としては、その点をよりのばしていきたいと思う。だから、おかしいとか、こうした考え方もあると思う人がいれば、どんどん書き込んでほしいと思います。

話がそれたが、元に戻して・・・

日本の食料問題について、最も象徴的なのが、「米(コメ)」であろうと思う。他の多くの食物も、日本には存在し、売られている食料自給率の問題もある。しかし、コメは日本人の主食であるという点から、他の食料とは少し違った位置づけをえられてもおかしくはない。
 近年、日本食ブームにのってかのらずか、海外でコメが生産される事が多くなっている。アキタコマチやコシヒカリなどのブランド米まで、海外で生産されている。つまり、安いコメが海外で大量に生産されているという事だ。それに対して、日本は最近まで、超高関税をかけて、さらに農家から売値よりも高い値段でコメを買い取ってきた。しかし、前者についてはアメリカなどとの貿易交渉の場において、関税の引き下げに応じ、後者については、国の財政危機のため、食管法を見直した。これによって、日本の農家は自らを守ってくれていた二つの”コート”を失い、今は”裸”ではげしい競争の世の中にさらされている。

 今までの政府の農家に対する過保護が問題であったのは言うまでもないだろう。そこには、「日本の主食であるコメを守る必要がある」とか「日本古来の田園風景やそれに伴う文化を守る必要がある」といったまっとうな理由から、「農民票を確保するため」といった無責任な理由まで、いろいろある事だろう。しかし、日本の国際的地位・立場や日本の財政状況をかんがみた時に、農業の過保護をできる状態ではなくなったという事だ。それは、結果的には、農家に自立を促すという点で、(見直して)正解だったと思う。そうしなければ、将来農家はもっと大変なことになっていたにちがいない。まぁ結局、政府は今までの農家に対する過保護をやめた。しかし、このグローバル化の進む世の中で、そのまま何もしないでいていいわけもなく、政府は「農業の大規模化」「農業の効率化」といった政策を打ち出した。(農水省のHPにも「効率化」や「低コスト化」とか「合理化」と言った言葉が並びます。)政府は、それを推進するためにおそらく補助金を組んだりしている事と思いますが、それを受け各地では「大型機械化」や「集団営農化」などを進めている所もあるのです。

 この農水省の打ち出した政策は一見当然であり、すべき対策であるように思えます。僕自身も、このNHKスペシャルをみるまではそう思っていました。しかし、問題もあるという事に気がつかなければなりません。まず、考慮しなければならない事は、農水省の打ち出した政策は「市場主義者」による政策であるという事です。一般に、「市場を万能と考え、政府は市場に介入すべきでないと考えます。その上で、現在の市場は、完全市場ではないためそれに近づけるようにしなければならない。また、市場に任せておけばすべてうまく行く」、というのが生粋の市場主義者の考え方です。つまり、貿易は自由貿易にする事で、日本はより大きな利益をあげる事ができる。だから、自由貿易化すべきであり、それによって一時的には農業関係で失業が発生するかもしれないが、それは政府がセーフティーネットをはる事で対処すればよい、という考え方になります。しかし、本当に「市場に任せておけばうまくいく」のでしょうか。さらに「政府がセーフティーネットを張るとはどういうことなのでしょうか(この時点で、政府は介入をすべきでないという考えと矛盾するように感じますが・・・)」実際には、農家の困窮は予想以上であり、口をそろえて「このままでは日本の米作農業はほろぶしかない」と言っているくらいです。そこで、私たちは、民主党の案に注目してみる必要があります。民主党は「農家に対する個別保証制度」というものを提案しています。僕は、最初にこれを聞いたときは、「財源」「官僚による裁量権の復活」などというネガティブなイメージが浮かんだのですが、今、これを短期的農業政策だと考えれば、納得がいく気がします。この案を長期的な農業政策だと言い切るなら、民主党に未来はないと思いますが、短期的な政策と言う観点からみると、確かに今必要とされている政策なのです。農業を効率的にするにあたっても、農業のやり方を変えるにしても、どちらにしても時間が必要なわけで、さらにコストもかかるわけで。その間の、つまり農家が農業を変えようとしている間の、生活補助は農業を守るためには、あってしかるべきなのだと思うようになりました。そうしなければ、農家が農家をやめてしまうかもしれない、とおもうのです。その上で、長期的政策を考えなければいけません。松岡前農水大臣(さきののうすいだいじん)が進めていた、日本米を海外の富裕層に売るという逆転の発想は、以外と功を奏するかもしれないと思っています。日本のコメの質を重視する政策は必要でしょう。量やコスト面で言えば、土地環境の違う外国にかなうはずがないのですから。


 次に考慮すべきなのは「効率化ってほんとにできるの」とか「効率化ってほんとに有効なの」と言った点です。つまり、効率化と言っただけで、思考停止になってはいけないという事です。問題点は、放送の中で数点あげられていました。農場を大規模化するという政策については、取り残される土地が40%も存在するという事実です。たしかに、日本の農地は、平地にあるというよりも、山間部にある事が多い。故に、効率化することが非常に困難な地域もあるという事です。また、土地の権利の問題です。集団営農とするにしても、その土地の権利をどうするのか。さらに、集団営農にするのにかかる費用(水路などの整備費)をどうするのか。究極的には、土地条件の違いすぎる日本とアメリカでは、いくら日本が効率化しても限りがあるという点です。つまり、効率化の限界です。それは、アメリカで使われている大型機械をみてみるとよくわかると思います。日本のコンバインの4倍くらいの大きさでした。

 つまり、効率化は必要な改革ではあるが、そこで止まってしまってはいけない。セーフティーネットの問題。効率化の問題。さまざまな事を考慮して、日本の農業を守っていくべきだと思いました。
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「知」のソフトウェア 立花隆
久しぶりに、読書メモです。

立花隆さんの〈個人的〉情報論ともいえる本。自らの経験や思うことを通して、情報のインプットとアウトプットについて述べられた本。本人曰く「以下、私的な体験知を思いつくままに記していってみることにする。」

1.情報のインプット&アウトプット
2.新聞情報の整理と活用
3.雑誌情報の整理について
4.情報検索とコンピュータ
5.入門書から専門書まで
6.官庁情報と企業情報
7.「聞き取り取材」の心得
8.アウトプットと無意識の効用
9.コンテ型と閃き型
10.材料メモ・年表・チャート
11.文章表現の技法
12.懐疑の精神

本書は1984年に書かれた本であるので、その当時は、コンピュータやインターネットもほとんど普及していなかった。そのため、本書の中には、現在では役に立たないと思われる部分もあった。また、記者になる人など、取材をする人を対象にしているであろう章もあり、その部分は、普通の人には直接的には役に立たないかもしれない。しかし、それでもなお、この本は現在でも有効な示唆を多く与えてくれる。文体も読みやすく〈私の読んだ新書の中ではこの新書がいちばん早く読み終わった!!〉、一読の価値はあると思われる。

この本で、目からうろこだったのは、次の部分。
「試みに、手近の本を取って、適当なページを開き、一ページに二秒間だけ視線をただよわせてみよ。その際、読むという意識を完全に捨てることが肝要である。あたかも物でも眺めるかのように、活字の字面を眺める。一ページに印刷された活字情報を読み取るのに二秒間が短すぎるが、「活字が印刷された一ページの紙」というモノを眺めるためには、二秒間というのはけっこう長い時間なのだ。」

この部分のおかげで、僕の本の読み方に新しい方法を加えることができた。筆者はこのことについて、次のようにも言っている。
「各ページを読むわけではなく、サッと目を走らせるだけでよい。不思議に必要な情報があるところには自然に目がとまるものである。人間の目や大脳は、無意識のレベルまででもちゃんと働いており、無意識層で何か大きな発見をすると、意識のレベルまで発見した情報を自動的にあげてくれるものなのである。自分の無意識の能力を信頼して読まずにページをくっていく、「本に目を通す」作業に自分を慣らしておくとよい。」

このほかにも、資料の整理に追われて資料を読めない青年とか、本を一冊も読まずに図書館を建てることを決めた老人とか、面白い話も各所にある。「はじめからノートをとるな」「入門書は同じのを三度より、違うのを三冊」、マスコミ論〈記者クラブの問題性〉についても書かれていた。
本書を通して、筆者の考え方には、無意識というものを非常に重視している」ということがわかった。それは筆者が「無意識の持つポテンシャルな力は、普通の人が創造するよりはるかに大きいのである。」「いずれにしても、人間の知的能力の増進の要諦は無意識の能力を涵養することにあるのであって、何やら意識的な小手先のテクニックを覚えこむことにあるのではない。」といっていることからも明らかであろう。

おもしろいのは、最後に「あとがき」で筆者が次のように述べていることである。

「最後にもう一度述べておくが、本書の内容を一言で要約すれば、
『自分で自分の方法論を早く発見しなさい』ということである。…」


「知」のソフトウェア (講談社現代新書 (722))「知」のソフトウェア (講談社現代新書 (722))
(1984/01)
立花 隆

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翻訳語成立事情 柳父章
今年の初めに読んだ本ですが、だいぶよかったので、一応載せておきます。以前に書いたメモのみをたよりに…。

1、社会
2、個人
3、近代
4、美
5、恋愛
6、存在
7、自然
8、権利
9、自由
10、彼、彼女

本書で印象に残ったのは次の部分である。
「この翻訳用日本語は、確かに便利であった。が、それを十分認めた上で、この利点の反面を見逃してはならない、と私は考えるのである。つまり、翻訳に適した漢字中心の表現は、他方、学問・思想などの分野で、翻訳に適さないやまとことば伝来の日常語表現を置き去りにし、切り捨ててきた、ということである。それは、まさしく、今から三五〇年ほど前、ラテン語ではなくあえてフランス語で『方法序説』を書いたデカルトの試みの基本的態度と相反するのであり、さらに言えばソクラテス以来の西欧哲学の基本的態度と相反するのである。」

 言葉を翻訳するのは大変なことだ。今までの日本の文化的背景の中に、上記のような、音としての言葉ができただけではもちろんなく、言葉の翻訳に伴って、その思想まで導入しなければならない。言葉が広く使われるには、この思想も理解されねばならない。
 これらの翻訳語には2種類あり、?明治時代に新たに作られた語?既存のやまとことばを当てた語。知識人はもともとの語の意味するところをわかっていた。しかし、民衆はそうではなかった。民衆の翻訳語理解について、著者は「カセット効果」を挙げている。それは、中身はよくわからないが、人を魅惑し、惹きつけるもので、何かすごいものだと受け取る効果のことである。
 言葉を輸入するということは、その背後にある思想も輸入するということである。しかし、日本の文化的背景に、西洋の文化的背景基盤とする言葉の持つ思想は、型が合わないものなのである。つまり、もともとまったくなかった、考えたこともなかったことなのである。これを、いちから導入するのは想像をはるかに超えた困難な作業である。その点で、やはり福沢諭吉は文を抜いていたように思う。「福沢諭吉は、日本の現実の中に生きている日本語を用いて、ことば使いの工夫によって、新しい、異質な思想を語ろうとした。そのことによって、私たちの日常に生きていることばの意味を変え、またそれを通して、私たちの現実そのものを変えようとしたのである。」
 なるほど、一万円札を飾るにふさわしいとおもいます。

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バイオ燃料と食糧問題 訂正と追加
前回書いた、「バイオ燃料と食糧問題」についての議論の訂正と追加です。

 僕は、環境問題や農業問題について、結構興味があるほうなのですが、そのアプローチは、NGOやNPOが推進するような方法・観点からではなくて、むしろ、政治や経済の面からの方法・観点からしよう/したいと思っています。
 環境産業のほうは、世界的にも、日本の国内でも、注目を集めており、産業も大きくなりつつあります。それは良いことだと思います。しかし、より効率的なプロセスや大きな視点からすべきこともがあるのではないかと思う。これからはそれを追求すべき。
 農業問題については、日本の農業ははっきりいって、今が勝負の時期だと思う。農業を効率化し、その販売路線を開発して行く必要がある。僕は、農業部門において株式会社が参入するという案は注目に値すると思う。真剣に考えるべきだろう。こうした点から考えて、農業政策については、自民党の政策のほうがよいと思う。逆に、民主党は長期的にみた農業政策をはやく示すべきだと思う。今提示されている「個別保障制度」は短期的な政策に見える。この政策も、現時点では必要かもしれない。地方ー都市圏の格差が開く中で、農業関係の人に力をつけてもらうことも必要だろう。しかし、それをつづけていてはいけない。長期ビジョンが必要だ。そうしなければ、民主党の政策は、農家を破産させ、日本の農業をだめにさせることになるかもしれない。
 今後はこうした関連の本にも手をのばしていこうと思う。


さて、前置きが長くなりましたが、訂正について。前回の項目内に
「バイオ燃料ブームが発生する⇒ガソリン価格の上昇⇒さらにバイオ燃料の必要性が高まる/需要が増える、という悪循環に陥っている」
という内容が書いてあったのですが、これでは意味がわからないと思うので、訂正して、もう少し詳しく書こうとおもっています。ただし、ここからは、そのTV番組を参考に自分で考えた事なので、あしからず。
 まず、どこからはじめるか微妙なとこだが、まずは「小麦の値上げ」からいこう。「小麦の値上げ」が起こったその要因としてはオーストラリアの干ばつやアメリカの天候不順といった「環境問題」がある。そして、「小麦の値上げ」によって、「(中流)家庭が打撃を受ける」というのと、更なる「環境問題の認識が上昇する」という結果が得られる。そこに、「ガソリンの値上げ」という項目が入ってくれば、どうなるか。「家庭が打撃を受ける」し、「輸送費が上昇する」ため、「小麦が値上げする」。そして、つまり、「環境問題の認識が上昇し」、「ガソリンが値上げされる」ことで、「バイオ燃料の注目度・需要が上昇する」という結果をもたらす。ここからは前回書いた通りで、トウモロコシの物価が上がったり、「サトウキビ化」によって、他作物が減産しすることになる。そのため、飼料も値上げされ、結果的に「他食物の高騰」を招く。これらのことは「食糧危機」につなが(ってい)るのかもしれない。さらに、農地確保のための環境破壊が起これば、それは「環境問題の認識を上昇させる。」結果として、悪いサイクルにはいりこんでしまっているのだ。
 
ここで、重要なのがメディアである。メディアが世界に発信でき、世界のことを発信できる現在の世の中では、世界のある地域で起こったことが全世界の人に伝えられる。この「媒介者」お存在なくして、以上のような説明はなりたたない。



とにかく、2回にわたって書いてきたが、いいたいのは、環境問題も農業問題も絡み合ってくるということ。些細に見えることでも、全世界に影響をあたえ、与えられている。ということ。見方は複雑になるが、だからこそ解決手段も増えるのではないか。

テーマ:社会問題 - ジャンル:ニュース

バイオ燃料と食料問題
先日、何かのニュース番組で、「物価の値上がり」について取り上げられていました。

そのニュースでは
「最近、物価が次々に上昇している。ガソリン価格もそうだし、生活に身近な商品の物価が上昇している。例えば、小麦もそうだ。小麦は、近頃のバイオ燃料ブームによって、耕作地が奪われ、価格が高騰している。」
という感じの事を話していた。

また、別のTV番組では、
バイオ燃料ブームが発生する⇒ガソリン価格の上昇⇒さらにバイオ燃料の必要性が高まる/需要が増える、という悪循環に陥っている」
「物価全体でみたら、物価はそんなにあがっていない。それはなぜかというと、パソコンとか液晶TVとかいった、大きな商品が、むしろ値下げされていて、肝心の生活必需品や生活関連物資の価格が上がっている。それによって、相殺されて、マクロデータでは、あがっていないということになっている。だから、より金持ちには優しく、より貧しい人には厳しい物価になってきている」
とのこと。

 この事を聞いて、もしくは見て、思ったのが、
バイオ燃料を開発し、それを産業にできるほどに育てた研究者は、この事について考えていたのだろうか
ということだ。

 もちろん、その研究者は、現在の環境問題を憂い、なんとか解決したいと思って、バイオに目を付け、それを育ててきたのだと思う。その事自体はよい事だし、実はぼくも期待していた。バイオ燃料が部分的にだけでも、使えるようになればいいなと。

 しかし、問題はそんなに甘いものではなかった。というより、むしろ別のところに問題が現れてきたのだと思う。

 バイオ燃料が産業化できるようになって、まずブラジルが目をつけた。ブラジルはその広大な領土持つが故に、バイオ燃料の産業化にはてきしていた。政府は、バイオ燃料をブラジルの>新エネルギー政策に据えようとした。そこで、バイオ燃料の元になる、サトウキビなどの栽培を奨励した。そして、人々はアマゾンの森を切り開き、さらに農耕地を広げていった。
 また、アメリカでは、同じく広大な領土をもち、ブラジルのエネルギー政策に対抗しようとして、また、京都議定書から離脱して批判が高まっており、また、ブッシュ政権の支持率回復の一助としてエネルギー政策を掲げたため、バイオ燃料の育成が急に盛んになった。アメリカの農家はトウモロコシをそのまま食料として(もしくは飼料として)売るか、燃料用として売るかを天秤にかけている。
 さらにいえば、ガソリン価格が高騰している。そのため、燃料として、「ガソリンよりも、バイオ燃料を・・・」と考えるところも増えてくるかもしれない。そのため、また、バイオ燃料に注目が集まり、さらに日常品の物価が上がると言った事は、世界各地で起こっていてもおかしくないのではないか(しらべようがないのでこういう表現ですが。)

 さて、話を元に戻してみよう。元は「新エネルギー開発」というものであった。しかし、それは、世界にひろまり、「政府」という政治的主体を通して、その思惑を介して、一国の「エネルギー政策」となり、それに人々の(お金を稼い豊かな生活をしたいという)欲望が加わって、環境を守るどころか、環境破壊に発展している。また、アメリカとブラジルのエネルギー政策化に伴い、両国の主導権争いに発展している、。アメリカの農家でも、同じ欲望から、燃料を生産する側に回り、世界では食料危機に見舞われかけている。それは、各国の食料安全保障問題とも絡みあって、大きな議論を呼んでいる。
 ひとつひとつとってみれば、「経済学的に言って」間違った行動をしているわけではない。農家の人々は、自分の所得が上昇する方をとるだろうし、政府は(政治的に)他国に有利な状況になるように、政策を立案する。小売業者は、その仕入れの値段の高騰に従って、小売りの値段を上げ、自らの所得を確保する・・・etc
 いかなる主体も、自らの利益のために行動するだろうし、(しかも、こういう場合は、環境団体とかは介在しないので、ほんとに自分の生活の事のみを考えているとおもっていいと思う。したがって、利己的となる。)生活の場で、誰ともわからぬ人の心配をする人などいないだろう。しかし、すべてを一緒に考えると、問題はあふれかえり、各界を巻き込んだ大きな問題となっている。これは、おそらく、グローバル化によって、人々が思っている以上に世界が近くなっていることが、関係しているのではないか。影響は広がりやすいのである。経済学的にみれば、おそらくこのくらいが(僕の)限界だろう。
 ここから、科学者の話に戻ってみようと思う。さあ、科学者は自らの研究がここまで大きな問題を引き起こしうるという事を少しでも、予測していただろうか?おそらく答えは否であろう。もちろん、科学者は、自らの研究を一生懸命するべきだし、その後の事を考えて研究をやめるなんて事はしなくてもいいと思うし、さらにいえば「技術は悪ではない。悪が生まれるのは、その使用者が悪だからだ」と言った考え方をとることも間違いとは言えないだろう。しかし、しかしである。科学者も、ある程度は世の中の事は知っておくべきではないか。研究を続けながらでも、その事について考えをめぐらすべきではないか。先ほどの技術と使用者の考え方は、裏返せば、次のように言える。

「技術は悪ではない。しかし、その使用者は、悪であるかも知れない。故に、その技術は悪用される可能性もある。その事を肝に銘じて研究をしなければならない。」

 研究者は、(僕の中ではどうも)「象牙の塔」にこもりっぱなしで、自らの研究以外の分野には興味がないというイメージがあるのだが、少なくともそうであってはいけないと思う。大きな視野のもとに自らの研究を置く必要がある。このことは、他の多くの学問、あるいは職業についても言える事ではないかと思う。

ここまで、読んでくれた方、ありがとう!!
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Author:トクマ法師
ナフザンス法定大学教授(不穏分子因果論)



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